5/25 「起業工学」設立20周年に寄せて「日本は次のイノベーションを生み出せる?」 山崎 修
<おちゃのこ通信「日本は次のイノベーションを生み出せる?」号 2018/2/22 Vol.284>
『イノベーションのジレンマ』というベストセラー本をご存じでしょうか。ハーバードビジネススクールのクレイトン・クリステンセン教授が1997年に発表した経営理論で、市場における栄枯盛衰を必然的なものとして解説しました。
画期的なイノベーションで市場に登場し、みるみる成長して大企業となり、優良経営の代名詞のように言われた会社がなぜ後発のベンチャー企業に敗れて市場から去っていくのか。それは、成長した大企業が優れた経営で舵取りがなされているから。
この矛盾したような理屈。それこそが「ジレンマ」と呼ばれるゆえんです。大企業は顧客の要望を察知してそれをかなえるような製品を出し続けますが、新たに登場した破壊的イノベーションは、市場が小さく、性能は劣り、利益が小さいという理由で市場から無視されます。
しかし別の小さな市場で圧倒的な支持を得て、そこから急成長。たちまち大企業が支配していた市場を食い荒らし、ひっくり返してしまいます。かつてのメインフレームコンピューターがミニコンに追われ、ミニコンがパソコンに追われたように。この世代交代を通じて市場を支配し続けた企業はありませんでした。
この「企業」を「国」に置き換えてみると、一度トップを経験した国は、必ずその地位を追われることになります。先進国になったために、イノベーションを生み出しにくくなってしまうからです。
それでは、日本はこれから没落の一途をたどることになるのでしょうか。少子高齢化による人口減少などの背景を見ると、その予感が強まってきます。
「それでもいい」という考え方もあるでしょうが、できることなら夢よもう一度、「日はまた昇る」とばかりに日本を右肩上がりに復活させたいものです。
今回の「オススメ参考書」では、その夢をかなえるための本を紹介します。
ディープ・イノベーション
加納剛太・編著 カルロス・アラウジョ、古池進、椎橋章夫・著 冨山房インターナショナル・刊 1,800円(税別)
本書は「起業工学」という耳慣れない言葉を共通項として持つシリーズ書籍の最新刊です。1冊目は2012年に発刊された『起業工学--新規事業を生み出す経営力』(幻冬舎ルネッサンス・刊)、2冊目は2016年に発刊された『日本復活の鍵 起業工学』(冨山房インターナショナル・刊)です。
「起業工学」とは、本書の編著者である加納剛太氏が考案した概念で、論文至上主義に陥り、実学から離れていた日本の大学に対する危機感から生まれた一種のアンチテーゼです。「だが、たとえば『工学』という学問においては、理論が実践へと発展し、それを製品という形に変え、市場で販売して利益を出すというプロセスまでを包括する必要があるのではないか、私はそのように考え、1999年に『起業工学(アントレプレナーエンジニアリング)』という概念を提案した」(本書第6章)
本書の共著者である古池進氏とカルロス・アラウジョ氏は、ともに加納氏の古い盟友である。加納氏は松下電子工業常務として、古池氏はパナソニック代表取締役副社長として、アラウジョ氏はパナソニックグループと共同で研究開発を行っていたコロラド大学教授として、また自身が率いるシンメトリックス社の経営者として、イノベーションによる成果を分かち合った仲間でした。そしてもう一人の著者、椎橋氏は、彼らが開発した不揮発性メモリーを心臓部に据えて大成功したJR東日本のICカード「スイカ」の開発責任者です。
本書はAIやIoTが産業の共通語となる時代に、いかにして新しいイノベーションを生み出していくべきかを論じた1冊です。ともすれば沈滞ムードに支配されがちな現代日本に「喝」を入れ、日本と日本人にはまだまだ勝てる要素がたくさんあることを指摘します。
本書がほかの経営書、ビジネス書と違うところは、椎橋氏とアラウジョ氏が担当した2つの事例の章です。椎橋氏は、いったんは次世代システムの候補から落選しながらも、10年耐えて開発を続け、ついに日本の交通系ICカードのスタンダードとなった「スイカ」の苦労話を余すところなく語ります。「だが、ICカード開発陣はあきらめなかった。10年は出番がないということは、その先に出番が待っているのかもしれないのだ。『負け組』と腐ることなく、次の出番を信じて、ICカードの静かだが着実な研究が続いた」(本書第4章)
今日、「スイカ」はICチケットとしては全国ほとんどの鉄道・バスで利用できる「定番」ですが、電子マネーとしても活躍の場を広げています。なぜこれほどまでの成功を収めることができたのか。その理由について、椎橋氏は「徹底して『お客さまの使い勝手』を最優先で考えたから」といいます。しかも、それが生まれた理由は「初期のICカードが使いにくかったから」だそうです。2017年現在、スイカの発行枚数は6400万枚に達しています。
もう一つのイノベーション事例は、アラウジョ氏の「FeRAM開発物語」です。FeRAMとは、強誘電体を使った不揮発性ランダムアクセスメモリーのことで、電源から切り離しても情報を記憶しておくことができるため、ICカードや携帯電話など、さまざまな用途に利用できます。類似の製品としては、USBメモリーやSDカードに使われているフラッシュメモリーがありますが、FeRAMは書き替え寿命や動作電圧などにおいてフラッシュメモリーよりも優れています。
しかしながら、学会では長い間「FeRAMは実用化できない」というのが定説でした。アロウジョ氏たちは、その常識化した学者たちの思い込みを打破し、製品10億個で不良ゼロという驚異的な品質を実現しました。これによりアロウジョ氏はIEEE(米国電気電子学会)の権威ある賞である「ダニエル・E・ノーブル賞」を受賞し、共同開発のパートナーであったパナソニックグループの3人の研究者が電気科学技術奨励賞の「文科大臣賞」を受賞しています。
それでは本書の目次を紹介します。
- 序章 「ディープ・イノベーション」とは何か カルロス・アラウジョ
- 第1章 真のイノベーション経営とは 古池進
- 第2章 パラダイムシフトと老舗企業 古池進
- 第3章 IT世界のディープ・イノベーションと「倫理経営」 古池進
- 第4章 ディープ・イノベーションの実例--Suicaの開発と展開 椎橋章夫
- 第5章 ディープ・イノベーションの実例--2つの不揮発性メモリーの開発-- カルロス・アラウジョ
- 第6章 次のパラダイム変革に向けて--「起業工学」が導く新時代-- 加納剛太
- 第7章 ディープ・イノベーションとスマートシティ カルロス・アラウジョ
閉塞感、手詰まり感に満ちた現代日本の突破口を探るための、興味深い1冊です。